さすらいのブッキーの話
ロンドンでブックメーカーと巡りあって、オッズコンパイラーを経て、ライブベットトレーダーになったりして、すったもんだがありながらも、30年たった今もブッキーやってます。
私は高卒で美容師になり、1990年26歳のときににロンドンへ美容の勉強に行きました。高校生のころパンクロックに目覚めのめりこんでバンドをやったり、音楽にハマっていきます。とりわけイギリスのバンドが好きで、クラッシュやスペシャルズなんかが大好きでした。その頃流行っていたブラーやオアシスがかかっているナイトクラブに遊びにいって、ロンドン最高!楽しくて遊びまくってました。そんな感じだったので、目指していた美容学校にもいけず、手持ちのお金も少なくなって、途方に暮れていたころに、縁あってブックメーカーの仕事が巡ってきたのです。
当時ブックメーカーの事は全く知らなかったので、スポーツになんでも賭けることができるギャンブルが合法的に存在していること自体に驚きました。ブックメーカーは町中いたるところにあって、外観こそ違いはあるものの、日本のパチンコ店みたいに存在しているなと思いました。そんなブックメーカーの店内に中はというと、お世辞にもいい感じとは言いがたい雰囲気で、それは川崎競馬の帰り道にすっからかんになって、とぼとぼ歩いているおじさんに似たような雰囲気の人達がいました。ブックメーカー店舗の中は印象はよくなかったです。
しかし、私が働いていた職場はそんな雰囲気は全くなく、普通のオフィスで多種多様の人種がいるSSPインターナショナルという会社でした。社長はスウェーデン人で、北欧のマーケット中心でヨーロッパのマーケットもあり、アジアのマーケットをはじめた頃で、日本向けのマーケットに参加します。ここでオッズの制作について学び、最初は競馬から始まり、野球、サッカーや相撲、高校野球も賭けの対象としてオッズを作るオッズコンパイラーをはじめます。当時の賭けるシステムは、郵便、ファックス、電話が中心でしたが、95年には日本向けに世界で初めてインターネット経由の賭けを受け付け始めました。これはウイリアムヒルさきに始まったので画期的だったのですが、この社長は面白いアイディアを沢山持っていた方で、ブックメーカーの他にもベットエクスチェンジを誰よりも最初に作ったのです。今は消えてしまいましたが、後発のベットフェアが大成功をおさめたのを目の当たりにすると、一番手というのはなかなかうまくいかないことがあるなとおもいました。それとともにインターネットによってスポーツベッティングの時代が大きく変わっていくなと感じたのでした。
その後、2002年日韓ワールドカップの年に帰国し、フリーランスのオッズコンパイラーとしてのリモートワークがはじまり、会社に出勤しないで自宅でやる仕事のスタイルは自分にしっくりきたのです。そこでこれまで働いていたSSPやビクターチャンドラー(現ベットビクター)やBet365に日本のスポーツを対象にオッズの提供。しばらくやってみると、新しい変化がほしくなり、仕事先を模索している時に、インターベッティンというオーストリアのブックメーカーから声がかかります。ウィーンに行き面接をやって、そこでライブベットのトレーダーになって欲しかったようで、トレーニングを受けます。実際にライブベットのトレードはオッズコンパイラーとは違うライブで行うトレードが刺激的で、ゲーム感覚でやれたのですぐにハマりました。そして、さすらいのブッキー生活へ移行していきます。
ライブベットのトレードにの面白さに魅せられた私はもっとトレードのレベルを上げたくなり、2007年にその当時ライブベットの種類が最も多かったBwinに転職します。そこで訓練を受けそれまでやっていたサッカーのテンプレート(ベットの数)も倍ぐらい増え仕事内容は数段忙しくなりましたが、売り上げも倍以上になりトレードもやりやすくなることを体感することができ、楽しく仕事ができていたころです。他にもバスケットボールやテニスのライブベットもこなせるようになり、充実感で満ち溢れていていたのですが、いい時間というのは長続きはしないもの。そして、予期せぬことは突然おこります。
テクノロジーの進歩は速く、技術の必要とされるライブベットのトレーダーの仕事がソフトウエアの出現で、突然うばわれ、約半数ものライブベットトレーダークビになったのです。テクノロジーが人の仕事を奪っていくのを目の当たりにするとともに、会社への不信感が芽生えてきて、人を物のように扱われる会社の体質やブックメーカーの世界に嫌気がせしてきて、2018年に退職。しばらくの間ブッキーから離れ仕事もせずに趣味のサーフィンに没頭することにしましたが、色々経験したあげく、20年夏、現在の仕事に復帰しました。
このように、さすらいのブッキー生活をやってきて、楽しい人生をおくってきたのですが、その反面、実際のところ日本ではブックメーカーの認識は低く、仕事の話を尋ねられて説明するも、理解できる人は少なく、胡散臭い感じでヤバい人と見られることも多かったので、仕事の事はあまり人には話したくなくなりました。
そんな中、東京オリンピックの開催が決定します。これはブックメーカーにとって大きなチャンスだと確信していたのですが、開催2年前にはブックメーカーは辞めているという展開にw。人生うまくいかないもんですね。ご存じの通り、今度は追い打ちでパンデミックが起こり、オリンピックさえも延期になるという異例な展開に戸惑いながらも、おかしな方向へ時代は進んでゆき、20年の2月ごろは本当だかどうだか分からない陰謀論をたくさん聞かされたりして、将来がみえてこないネガティブなニュースの嵐に恐怖にのこまれ、未来に希望を持てなくて落ち込んでいたころ、これにのまれてはいけない!ポジティブに考え以前のように楽しく生きて行くことを決心します。自分に何ができるかを考えた時、30年ブッキーをやってきたので、私ができることはスポーツベットを広めていくことではないかとおもうようになったのです。賭けに興味がない人にお勧めしたくないですが、少しでもギャンブルが好きな方たちには、スポーツベットの楽しさを知って欲しい。これが自分にできることかなとコロナ過の中で思う気持ちが強くなってきたのです。楽しいことをやって少しでも人生が楽しめるようになれたらいいなと。さらに言うと、日本でブックメーカーの存在をもっと多くの人に知って欲しくてこのブログを始めました。
ブッキーサイドからの視点で、現在行われている賭けをリアルタイムで紹介していきます。日本ではまだまだ認知度の低いブックメーカーですが、非常におもしろい娯楽なので多くの人に知ってもらい、体験してもらって、その楽しさを知ってほしいと願っています。そして、現在ブックメーカーを利用している方たちにも、有益な情報が提供していき、さらに楽しく遊んでほしいと思っております。日本でブックメーカーを少しでもひろめていきたいと願っております。